第一内科について

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ヒューストン留学記

平成11年卒 三苫 弘喜

2010年3月よりテキサス州ヒューストンのMD Anderson Cancer Centerに留学しています。最初の数カ月は生活のセットアップや新しい環境に慣れることに必死で、もう8ヶ月以上が経過したのかと、時の流れの速きに驚いています。英会話の能力も乏しく右往左往する日々が続いていた時期には、「留学は楽しいよ、三苫君。」と明るく送り出して下さった諸先輩方の言葉が、懐疑的に思えたりもしました。しかし不思議なもので、思い通りに行かない状況自体にも次第に慣れ、少しずつ留学生活を楽しめるようになってきています。

大学院時代は堀内孝彦准教授のもとで、「TNF阻害剤のTNF産生細胞に対する作用機序を明らかにする」ことを研究課題として、主に培養細胞を用いた細胞生物学的手法を学びました。当初関節リウマチをはじめとする炎症性疾患にTNF阻害剤が適応になったばかりでしたので、臨床大学院生として臨床現場に貢献する仕事ができたことは喜びでありました。大学院卒業後は九州大学病院で2年間医員として勤務し、リウマチ・膠原病の臨床を若い研修医・医員の先生方と一緒に学びました。臨床の楽しさを久しぶりに味わい、漠然とこのまま臨床の道を進むのだろう思っていました。

ところが医員をしていた頃、赤司浩一教授、堀内准教授より日本学術振興会の特別研究員へ応募することを薦めていただきました。佐賀大学の長澤浩平教授に大変お世話になり、2009年4月より採用となりました。経済破綻の煽りを受けて米国でも研究者の受け入れが厳しくなっていた時期でしたが、サポートが得られる特別研究員であればむしろ留学がしやすい状況にありました。せっかく得たチャンスですので、臨床へ傾いていた私の心も留学の方へ自然に方向転換いたしました。近年の免疫学の分野では実験動物を用いたin vivoの解析が王道ですが、(1)大学院生時代にヒトの細胞を対象として研究を行っていたこと、(2)自己免疫疾患モデルマウスで著効した製剤が、実際の患者さんでは効果がなくマウスとヒトの免疫は必ずしも同一でないこと、などの理由で個人的にはヒトの免疫学がやりたいと考えていました。

色々と留学先を悩んでいたところ、赤司教授よりhumanがやりたいのなら現在留学しているYong-Jun Liu Labがいいのではないか、というお話をいただきました。偶然にも当科出身の有馬和彦先生(現佐賀大学出原研)が同ラボにおられることが分かり、有馬先生を介して即受け入れが決まりました。履歴書をメールで送って数十分以内のことでしたので、有馬先生に対するボスの信頼が厚かったお蔭だと思います。

私がいるテキサス州は南西をMexico国境、南東をMexico湾、北をNew Mexico州、Oklahoma州、東をLouisiana州に囲まれた、アメリカ第2位の面積(日本の約2倍)を持った州です。テキサス共和国としてメキシコから独立した歴史があり、テキサスの人々は自らをTexanと呼び、誇りを持っています。油田の発見とメキシコ湾への水路の完成で、アメリカの石油産業の中心地として発展し、その潤沢な経済力により、草原が延々と続く土地にアメリカ航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センターとTexas Medical Centerが設立されています。ヒューストンは1836年にメキシコから独立した際にテキサス共和国の首都として英雄Sam Houston将軍にちなんで名付けられ、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴに次いで全米第4位の人口を有しています。米国の中でほぼ南端に位置しており、気候は亜熱帯気候で、高温多湿です。1年の3分の2近くが夏で、最高気温33度以上の曰が3カ月以上も続きます。夏はあまりに暑いせいか、外を歩いている人はほとんど見かけません。どこも建物は寒いくらい全館冷房がきいており、家や建物の間をエアコンを全開にした車に乗って移動するため、実際はそんなに暑さを感じることはありませんでした。10月末までは半袖で生活をしていましたが、11月に入りある日突然冬になりました。春夏秋冬それぞれの季節を楽しむ情緒はここでは味わうことが出来ません。

ヒューストンにはNFL(アメフト)のテキサンズ、NBA(バスケット)のロケッツ、MLB(野球)のアストロズの本拠地が存在します。私はまだMLBの試合にしか行ったことがありませんが、アストロズの松井稼頭央選手、パイレーツの岩村明憲選手のプレーを観ることができました。残念ながらその後間もなくして両選手とも解雇されましたので、ある意味貴重な体験だったかもしれません。球場は福岡ドームとは全く異なった大リーグならではの雰囲気があり、試合だけでなく球場や応援そのものを楽しむことができます。またヒューストンには美術館・博物館が数多くありますし、ヒューストンシンフォニーやヒューストンバレエなどもありますので、文化人にはそれなりに楽しめる街かもしれません。しかし観光地はほとんどなく、-内科の先生方が多く留学されているニューヨーク、ボストンやサンフランシスコなどと異なり、観光で訪れる人はいません。よく言えば研究に没頭できる都市といえるかもしれません。ヒューストンから車で4時間ほどのところにサンアントニオというヨーロッパ調の街があり夏休みに旅行をすることができました。ハウステンボスをもっと賑やかにしたような街で、運河沿いにお酒落なお店やレストランが立ち並ぶ、とても美しいところでした。

M.D. Anderson Cancer Centerは1941年にM.D. Anderson財団が設立した癌研究所が始まりで、現在では年間延べ外来患者数が47万人以上、臨床試験参加患者数12,000人以上、総予算が14億USドルにのぼるアメリカでも最大級の癌センターです。当科からも権藤久司先生をはじめ、血液・腫瘍を専門とされる諸先輩方が留学をされています。周囲にはベイラー医科大学、メソジスト病院など数多くの大学や病院が集結し、Texas Medical Centerと呼ばれる世界最大規模の医療都市を形成しています。米国各州はもとより世界中から患者さんと家族が訪れるため、宿泊施設として長期滞在型のホテルが多数あり、患者さんはホテルの送迎バスで外来通院しながら最先端の治療を受けています。天神から博多駅の間がすべて病院、研究所、それに付属した駐車場、宿泊施設で占められているようなイメージです。

私が所属するDr. LiuラボはTexas Medical Centerからは少し離れたSouth Campus Research Building(Department of Immunology)にあります。Department of Immunologyは2003年に設立された比較的新しい部門で、我らがDr. LiuがChairmanを務めています。さらにDr. LiuはDepartment of Immunology、リンパ踵・骨髄腫、メラノーマ、および骨髄移植の講座を包括する癌免疫研究センター(Center for Cancer Immunology Research, CCIR)の初代所長でもあります。また母国中国にもラボを構えており、留守にすることも多く、お蔭で皆伸び伸びと実験をしています。Cancer centerですので腫瘍免疫ばかりをやっていると思われがちですが、当部門では免疫全般を対象としており、免疫の世界で名の通った免疫学者が複数在籍しています。Dr. Liuはhuman plasmacytoid dendritic cell(ヒト形質細胞様樹状細胞)を同定したことで著明になり、現在も一貫してHuman Immunologyに興味をもって研究を行っています。2010年11月現在、Professor 1名、Assistant Professor 1名、Instructor 4名、Research Scientist 2名、ポスドク4名、Visiting Scientist 1名、Research assistant 2名で構成されています。Dendritic cellを中心としたInnate Immunityのみならず、Th2 helper T cell、 Regulatory Tcell, 腫瘍免疫など多岐に渡った研究を行っています。私は、「新規の細胞内DNA sensor, RNA sensorの同定とそのシグナル伝達経路の解明」という研究テーマの元に数人の研究者と共に実験を進めています。残念ながら新米ポスドクの実験を手伝ってくれるテクニシャンはおらず実験そのものはすべて自分の手でやらなければなりませんが、実験に必要な抗体や試薬は自由に買うことができ、効率的に研究をすすめることができます。

ある報道サイトに10年前と比較すると米国へ留学する人が半減しており、若者が消極的になっているという批判的な記事がありました。日本のサイエンスのレベルが向上し、わざわざ米国に行かずとも世界レベルの研究が国内でできるようになったことも一因だと思います。実際に免疫学の世界では、世界を牽引している日本の研究室はたくさん存在します。また米国の経済状況の悪化や、日本の研究職への復帰の難しさが留学者数を減らしている要因と思われます。しかし実際に留学をしてみると、サイエンスの問題以外に人生の糧になることがたくさんあります。海外で生活をすることは想像していたよりも大変ですし日本と比較的生活水準が近いと思われる米国でさえ驚くことがたくさんあります。また価値観の違う様々なバックグラウンドを持った人々と接することで、日本人のよさや逆に足りない点を切々と実感し、視野を広げることができます。私自身もともと留学にそれほど積極的ではありませんでしたが、今となっては、若い同門の先生方もチャンスが巡ってくれば迷うことなくチャレンジされることをお薦めいたします。