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第一内科の先輩インタビュー:陳之内文昭先生

2021/12/23

第一内科の先輩インタビュー。
今回は、医師12年目の陳之内文昭先生に、医師になったきっかけや第一内科を選んだ理由なども含めて、幼少期から現在までのお話をざっくばらんに伺いました。

左:寺﨑達也(医師6年目, 聞き手) 中央:陳之内文昭(医師12年目, 話し手) 右:石原大輔(医師7年目, 聞き手)

幼少期〜大学生活

「血液内科はダイナミックな治療ができるのが魅力」

― まず、先生の出身やご家族について教えてください。

陳之内先生
宮崎市生まれで、両親は特に医療関係者などではなく、父が塾講師でした。当時は大きい塾ではなかったけど、いまでは医学部にも進学する人が出ているらしい。そんなところから始めるの(笑)?

― はい。幼少期の頃のことから伺いたいと思いまして。お父さんが塾の先生なら、教育的な家庭だったのですか?

陳之内先生
全然そんなことないよ。特に勉強しろとかも言われたことないなぁ。高校は、九大医学部に多いラサール高校とかじゃなくて、偏差値55~60くらいのところだった。

― ご両親が医療関係者でも教育的でもないとのことでしたが、いつ頃から医学部進学を考えるようになったのですか?

陳之内先生
子どもの頃から、医者になるのが夢だったんだ。でも、家族が病気だったとか、血液疾患だったとか、一内科にはそういう人がいるけど、そういったエピソードがあるわけではないんだよね。

― なるほど。志望科はいつ頃決められたんですか?

陳之内先生
逆にみんなはいつ頃決めたの?寺﨑先生は早かったね。石原先生は?

石原先生
私は、元々は外科系希望で、内科なら血液内科と思っていました。結果をスパッと出せる科がいいなと。外科系を希望したのは、病気を早く見つけて、手術で早くとってあげれば、今後何十年と何もなかった様に生きられる様にしてあげられるのがいいなと思い、心臓血管外科とか、脳神経外科とかも候補にしていました。

陳之内先生
外科の良さってそこだよね。血液内科を目指している人の一部に外科系と迷ったって人はいるね。両方ともダイナミックに治療ができるところが似ていると思う。何もなかったかの様になるのは大きい。臨床では、リンパ腫がこんなに大きかったのに、「えぇーなくなったの!?」って驚くこともある。血液疾患は、化学療法が効きやすいからね。

― 先生が血液内科を決めたのもそういった理由だったのですか?

陳之内先生
俺の場合は、赤司浩一先生の影響もあるよ。赤司先生が教授に赴任されたのが2008年だったと思うんだけど、「ハーバード大学で研究室をもっている人が内科の教授になったらしいよ」って学生の間で話題になってね。ちょっと見てみたいなぁって思った。学生のとき、各科の茶話会みたいなのがあったんだけど、そこで赤司先生が留学時代の話をされて。グラントとって実験する苦労とか、学生だからよくわかんなかったんだけど、すごいんだろうなって思った。

― 海外で研究室をもっていた教授というのは、確かに好奇心が沸きますね。

陳之内先生
赤司先生との縁がきっかけで、九大第一内科出身の虎の門病院の谷口修一先生に推薦状を書いてもらえて、6年生の春、マンションを借りて1ヶ月間見学に行ったんだ。虎の門病院で血液内科を見学して、当時は何かよく分かんなかったけど(笑)。それが血液内科に興味を持った最初の理由。思えばあの頃から赤司先生にお世話になっているなぁ。

 

研修医生活

「血液内科を研修で回ってなかったとしても、大丈夫」

― 先生はその後、虎の門病院で研修されたのですよね。研修生活をすると、志望科が変わったりすることもあると思いますが、先生はどうでしたか?

陳之内先生
途中まで肝臓内科をやろうかなって思ってた(笑)。ローテ中楽しかったし。血液内科の研修は、2年目の12月~3月に予定が組まれてたから、入局を決める頃にはまだ実際の診療がよく分かんなかったんだよね。ただ、赤司先生や宮本先生が、東京にいらっしゃったときにご飯に連れて行ってくれたりして、結局、気がついたら入局届にサインしてたよ(笑)。元々血液内科に興味があったのは確かだけどね。

― 血液内科に興味があっても、研修病院に血液内科がなかったとか、血液診療を経験する機会がなかったなどの理由で、ハードルが高く感じてしまう先生もいると聞きます。

石原先生
私も研修期間に白血病を診たことはありませんでした。実際、血液内科医にそういう人も多いと思います。

陳之内先生
血液内科は研修で回ってないと厳しいというイメージもあるかもしれないけど、そんなことないよ。ハードルが高いことはない。俺みたいに血液内科を回る前に志望科を選んだ奴もいるから(笑)。必ずしも血液内科を回ってなくても、研修医のときは、普通に全身管理の勉強をしたらいいと思うよ。医者として真に求められるのは、初期対応だったりするしね。

― 志望科を決めた後の、血液内科での研修はどうだったんですか?

陳之内先生
血液内科に入局するのが決まってたから、移植患者さんを中心に診させてもらえたよ。2ヶ月で14~15人診た。虎の門病院では、当時年間130人くらい移植してて、月に12~13件を月水金で移植してた。臍帯血移植のドナーを間違えないようにすごく念入りにチェックしてたよ。当時は4人部屋で移植してて、移植を受ける患者だらけだった。患者さんも同室の患者さんが、カーテンの向こうで移植してるのとか、それから4~5日したら個室に運ばれていくのとかを、「なんかしんどそうね」って言いながら眺めてて、「これから私もTBI注1)受けてきます」って治療が始まっていく、という感じだった。

注1) TBI:Total Body Irradiation。抗腫瘍効果および免疫抑制効果を期待して同種移植前に行う全身放射線照射のこと

― 慌ただしい毎日ですね。その頃の、思い出に残る先生などいらっしゃいますか?

陳之内先生
研修医時代の指導医の○○先生には、…お世話になりました。虎の門病院の研修の同期で、今も九大第一内科で一緒のS尾注2)もS波も、多分○○先生が怖すぎて、思い出したくないって感じよ。S尾もいびられまくってたからね。S尾って麻酔科から研修がスタートしたんよ。麻酔科の後で血液内科を回るときには、まだソリタT3とは何か?くらいだから、当然いびられまくって。「来い!S尾!」ってな感じで。その後血液内科を回ったS波も順調にその先生にいびられて。俺は2年目の最後に回ったこともあって最初はまだ優しかったんだけど、少し任されてオーダを組んだら、その後結局怒られたり(笑)。…お世話になりましたね。

注2) 医師12年目。現在Stanford大学に留学中。
 

レジデント時代

「主治医としての責任の重さを知る」

― 血液内科に入局してからの話も少し聞かせてください。

陳之内先生

思い出ね。まず、みんなで志賀島に行った(笑)。月の初めに旅行があって、そこで同期の入局者と顔合わせをしたなぁ。

― 自分みたいな他大学出身の入局者的にとっては、そういったイベントがあるのは嬉しいです。

陳之内先生

九大出身同士でも、そんな奴いたっけ?みたいな関係の人もいたりするからね。そんな旅行から帰ったと思ったら、次の日には診療開始。レジデント時代の記憶に残るエピソードとしては、レジデントの本当に初めの頃にICUで挿管してる患者さんを引き継いだことかな。経過も長くて情報収集も不十分な中、ただ、移植後再発が疑われる経過であることは間違いなくて、その診断をつけないといけない。だけど患者は仰臥位でどこから骨髄穿刺しよう、と悩んでるときに、上級医の先生からかけられた言葉は、「お前はもう研修医じゃないんだ。主治医の欄に誰の名前があるか見てみろ」だった。とにかく、分からないながらにも、自分で考えてどうにかしなきゃって、責任感を再度抱かされたね。石原先生がレジデントのときにも同じような話をしたね。

石原先生

はい、されました(苦笑)。移植後だと、ときどき重症な患者さんもいらっしゃいますよね。移植の患者さんも、ましてや白血病の患者さんを診るのも初めてで、「これどういう状況!?移植ってこんなふうになるの?」って驚いてたときに、陳之内先生から「お前が主治医だぞ」って(笑)。医者は知識があるとか頭がいいとかではなくて、主治医であるっていう責任感が大事なんだってことをおっしゃりたかったんですよね。目の前に困っている人がいます。患者さんがいます。さぁ、どうしますかって。その責任があるのは自分なんだって、改めて身に沁みました。

- 血液内科の先生方の責任感の強さはこういう経験から培われているんですね。

 

大学院時代

「論文にならなかった研究でも、得るものは多い」

― 陳之内先生は、レジデント生活を1年終え、医者4年目、血液内科2年目で大学院に入られました。いつ頃から大学院に入ることを意識されてたのですか?

陳之内先生

当時はほぼ強制だったから、気がついたら願書を出してた感じ。

― (笑)。基礎分野に興味が湧いて、希望して〜なんてエピソードも欲しいです。

陳之内先生

ない(笑)。入ることは決まってた。そして、大学院に入って最初のヶ月は旅行して、最初の仕事は忘年会の宛名の管理だった。

― (笑)。確かに、大学院に入ってすぐは、まだテーマも決まってない、実験のこともよくわからないって状況で、先輩にいろいろ教わりつつ、お手伝いをして…。当時に比べると今は、1年目の早い段階で自分のテーマが決まることが多くなりましたが、以前は自分のテーマについて本格的に手を動かし始めるのには、多少時間がかかっていたようですね。当時も、研究テーマ別にいくつかのグループに分けられていたと思うのですが、先生がマウスを扱う竹中先生注3)のグループに入ったのは、どういった経緯だったんですか?

注3) 現愛媛大学医学部附属病院血液内科教授。

陳之内先生

何でだろうね。実は、最初はマウス関係の研究もやりたくなかった(笑)。

- えぇー!?

陳之内先生

だって思わん?片やさ、造血のヒエラルキー注4)を研究したり、Leukemiaの実験をしてたりする中、俺、マウスやるの?みたいな。マウス、ちょっと気持ち悪かったし。

注4) 赤司研究室十八番の研究テーマ。

― 確かに、マウスルームにたくさん並んでるマウスを見るのは、怖いですよね。

陳之内先生

だから、お前マウスやれって言われたときは結構びっくりした。

石原先生

僕はマウスのつぶらな瞳が好きですよ

― テーマが決まって実験が始まってみたら、どうでしたか?

陳之内先生

マウスは噛みつこうとするし、はじめは怖かったけど、グループの先輩には本当に恵まれたね。竹中先生は、お昼休みか夜に、必ず顔を出してくれて「大丈夫か?困ったことないか?」って毎日声をかけてくれた。先輩の山内先生、大徳先生も病棟で働いてたり、研究にそんなに時間を割けられない中だったのに、ひたすら俺らの面倒を見てくれた。大徳先生は、FCM注5)とはなんだろう、PCRってどうするんだろう、細胞株を飼うってどんなものなんだろうっていうのを、分かるまで根気強く教えてくれた。岩本さんにもcolony assayのことでたくさん助けてもらった。山内先生は、一度帰ってお子さんが寝てから、夜中に俺に実験を教えにきてくれたり。ありがたかったね。

注5) FCM:Flow cytometry。血液細胞の表面抗原をモノクローナル抗体で蛍光標識し、検出することで細胞系統(linage)や分化段階を同定する検査手法。

― 手厚い指導だったんですね。

陳之内先生

後輩と絡むのが好きな先輩ばっかりだったね。先輩方のおかげで今があるって言うのは、一内科の伝統。俺の実験内容自体も、そんなにお金を使って新しい実験手法を使ってたわけではなかったからね。マウス捌いてしましたってやつだからね。ただそのマウスの研究は先輩方が積み重ねてきたもの。山内先生が留学して、大徳先生、岩本さんがいなくなった後も、竹中先生が論文を手伝ってくれて。全てほぼ先輩方のおかげですね。

― 論文を書くときに苦労したことも教えてください。

陳之内先生

しんどいところも、先輩が助けてくれたからなぁ。論文を書いてみても、もちろん、英文校正もあるけど、論理展開というか、濃淡の付け方、起承転結とか、とても他人に見せられる形にならない。ほとんど全て塗り替えられたりする。特に一つ目の論文は、他人に書いてもらったもの!と言ってもいいくらい変わる。

― 論文を書いて、良かったことはなんですか?

陳之内先生

論文を書けたこと自体は、全て先輩方のおかげと運だけど、その過程で起承転結をいかに分かりやすく、見る人にアトラクティブに見せるかを鍛えられたと思うよ。プレゼンテーション能力が鍛えられる。一つのことを話すにしても、メリハリの付け方で、相手への伝わり方が変わったりする。こういった能力が論文を添削されることで鍛えられる。それは、患者やその家族に、病気の内容や今後の治療のことを説明する上でも、役立ったと思うよ。

― 論文を書くこと以外にも、大学院に進んでよかったことを教えてください。

陳之内先生

やっぱり、血液内科には診療と実験が近い部分はあるし、診療に生きるという意味では良かったね。うまく実験がいかなかったときに、自分が無駄にしたって感覚に陥りやすい人とそうでない人がいるけど、俺も3つのテーマをもらって、形になったのは1つだった。けど、他のことも全く無駄ではなかったよ。qPCRやマイクロアレイ見たいな分子学的手法も学べて、世の中のデータがどんなふうに作られているのかも理解できて。例え論文という形にならなくても、もったいないと思うことはないよ。例えば臨床でよく使われる急性リンパ性白血病のMRD注6)検査だって、その原理であるqPCRの経験があったら、より本質的なところが理解できると思うよ。

自分はマウスの実験がメインだったけど、一内科にはいろんな事をやってる人がいるから。Stem cellをしてる人もいれば、Leukemiaをしている人、GVHDをやっている人がいたり。蛋白が得意な人、ゲノムが得意な人、メッセージが得意な人。俺らみたいにマウスが得意な人。結構お手伝い実験があって。特に低学年のうちは、それを見学したり、手伝い実験できることだけで、幅が広がったと思うね。それが後々の診療で役に立つことは多いと思うね。真面目すぎるかな(笑)。

注6) MRD:minimal residual disease。ALLに特異的なキメラ遺伝子を標的としたPCR検査により、体内に残る微小残存病変を検出する検査手法。

― では、臨床から離れて大学院に入ったときの、生活面での変化なども教えてください。

陳之内先生

九大一内科の大学院生って結構多いと思うから。和気藹々と楽しくやってたと思うけどな。臨床で働いてると、近い年の先生と働く機会ってむしろ少なかったりするから、同い年くらいの人がいっぱいいるっていうのは、幸せな環境じゃないかな。

― 単純に、ある程度自分のペースで時間がとりやすいのも有り難かったりします。

石原先生

自分は子供をお風呂入れたりしています。大学院生だから可能だったりするのかなと。

陳之内先生

それはあるよね。血液診療が忙しいっていうのは、嘘じゃないし、血液内科の弱点ではあるけどね。毎日17時や18時に帰って家庭充実してますってわけでもないし。ただ、最近は土日のどっちかを空けるようにしてる。子供と山登ったりしてるよ。浜の町病院なんかは、土日当番制にしてるらしいね。レジデントとスタッフで。

― ただ、こういったことは、人数がいないと難しいですね。

陳之内先生

そういう意味でも、後輩に是非血液内科に入って欲しいです。

今後の目標と、後輩へのメッセージ

「人に恵まれて、先輩にたくさん助けていただいた。今度は後輩の役に立ちたい」

― 最後に先生の今後の目標と、血液内科や第一内科に興味を持っている後輩にメッセージをお願いします。

陳之内先生

血液内科のことをよく知らなかったけど入りました、ってのが自分です。凡人だけど、一内科に入って、人に恵まれて助けてもらって、運よく論文も出せてます。今は、後輩の先生の役に立ちたいなって思っています。どこまで助けになれるかは分からないけど、自分がやってきたマウスの実験を誰かに教えたり、臨床も伝えられることを伝えていきたい。自分は中継ぎ嘉弥真注7)みたいな存在。左のワンポイント。ひとり抑えて帰っていく。その間に後輩の先生が育っていく。それが当面の目標かな。結局、後輩に優しくすると自分に返ってくるからね。

注7) 福岡ソフトバンクホークス投手。左サイドスローから放たれる変化球を武器にワンポイントリリーバーとして活躍。

― ありがとうございました!!